クリスマス前のダブリンでショパン、ショパン!
子どものころに習っていたピアノをアイルランドでまた弾くようになって早や数年、クラシック音楽好きの知人が増えた。趣味の話ができる人がいるのは楽しい。
彼らとはほとんど音楽のことしか話さない。そこでときどき感じるのは、日本と比べて、ショパンに対する熱にかなりの温度差があるということだ。
この秋にワルシャワで行われたショパン国際ピアノコンクールに対しても、「コンクールのために毎日何時間も練習しなければならないのはかわいそう」とか、「コンクールのための演奏になっていて面白くない」とかなり冷めた態度だった。私なんか、コンクールの動画配信を毎日数時間も観て、どの出場者の演奏が好みか、誰が本選に進むかと一喜一憂していたというのに。
アイルランドからの出場者は私の知る限りいなかったが、もしいたとしても、世間ではもちろん、ピアノ好きの人たちのあいだでもさほど話題に上らなかったに違いない。
そんな音楽好きの友人のひとりと最近ランチをした。私はちょうど数日後にハンガリー人のピアニスト、ゲルゲイ・ボガーニ Gergely Bogányi のコンサートに行くことになっていた。
聞いたことのないピアニストだったが、コンサートの後半はショパンのピアノ曲を観客の要望に応じて数曲弾く、という趣向だと言うと、友人は「Gimmick だな」と吐き捨てた。ギミックとはこの場合、観客をひきつけるためのしかけや工夫、要するに奇をてらう演出のようなものだ。
確かに。でも面白そうじゃないの。
ゲルゲイ・ボガーニは、ピアノ演奏とともに、カーボン複合材を主に使用したピアノ設計でも知られているそうだ。RIAM(ロイヤルアイリッシュ音楽院)の中規模のホールのステージでは、彼のまるでスポーツカーのようなフォルムのピアノがひときわ大きな存在感を放っていた。

この特別なピアノはコンサート前に 4時間かけて調律されたそうだが、コンサートの休憩時間にも調律師が熱心に音を調整していた。正直にいうと、このピアノの音色には木の温かみやぬくもりのようなものが足りず、何だか超精巧な電子ピアノの音を聴いているという感じがぬぐえなかった。

演奏プログラムにはショパンのピアノ作品 90曲が掲載されていた。休憩後、司会が「どの曲を弾いてもらいたいですか」と会場を見渡すとたくさんの人が挙手。瞬く間にリクエスト曲が決まっていった。
私は何回か手を挙げても当ててくれなかったが、選ばれた 8曲には聴きたかった作品がいくつも入っていたので、私と趣味の似た人がけっこういたのだと嬉しい驚きだった。ボガーニ氏は観客からのチャレンジを受けて立ち、エチュードからは『革命』、前奏曲からは『雨だれ』、ノクターン5番(Op 15 no.2)と13番(Op 48 no.1)、スケルツォ1番、そしてバラード2番と3番をもちろん暗譜で弾き、最後は私も最近弾いたことのあるワルツ Op posth 1(ホ短調)で締めくくった。
何となくショパンとリストを足して2で割ったような雰囲気のあるボガーニさん。アンコールもショパン作品、ワルツ5番『大円舞曲』だったので、よほどショパンが好きなのだろう。
コンサートの余韻も冷めやらぬ今週は、ダブリンの映画館 IFI で毎年恒例のポーランド映画祭が行われている。そのオープニングを飾る映画が、ショパンの半生を描いた『ショパン、ショパン!』(2025年ポーランド製作)だったので、雨の中をいそいそと出かけて行った。原題は『Chopin, Chopin!』だが、こちらでのタイトルは『Chopin, a Sonata in Paris』だ。日本では先月(2025年11月)、恵比寿ガーデンシネマであったポーランド映画祭で上映されたそうだ。
手作り感のあるポーランド映画祭のコーナー。
この映画のことを初めて知ったのは、今年4月にボルドーに行ったときだった。参加したボルドー中心部をめぐるツアーで、ある広場に入ったときにガイドさんが「ここで去年、ショパンの映画が撮られたんですよ」と教えてくれたのだ。パリを舞台にした映画やドラマは、プチ・パリとも呼ばれるボルドーでよく撮影されるらしい。
映画館は悪天候にもかかわらず満席に近かった。私の隣りに座った女性と何気なく話していると、彼女はポーランド人で、私のようにダブリンに20年ほど住んでいるという。映画『ショパン、ショパン!』はレビューを読む限りあまり期待できないが、ショパンを演じるエリック・クルムという俳優が好きだから観に来たそうだ。
映画が始まった途端、「あ、あのボルドーの広場だ」とわかった。ショパンの生きた時代のパリが色鮮やかによみがえり、大人しくて社交の場が苦手だとばかり思っていた彼がときに高慢に、ときに茶目っ気たっぷりに、人間臭く描かれていた。フランツ・リスト役の人に長髪がどうも似合っていなくて、真面目なシーンもコミカルにしか見えなかったのはご愛敬。
等身大のショパンに会えてほくほくと温かい気持ちになったまま映画館を出ると、ダブリンの街かどにはまだ雨が残っていた。

今ピアノを習っている音楽学校では、クリブ crib(キリスト降誕の情景を再現した馬小屋の模型)などのクリスマスの飾りつけがされている。

ダブリン街中を走る観光客向けの馬車もクリスマス使用。


