ひと月ほど前、私も所属するアイルランドの日本関係の団体から、100人規模のディナーパーティーの MC 役を頼まれた。

日本人の出席者も多いので MC には日本語も入れたい、という理由だった。この団体の催す年に一度の着席スタイルの晩餐会には、私も過去に2回出席したことがある。こうしたフォーマルな場での司会経験はないが、せっかく声をかけてくれたのだし、どうせ出席するつもりではいたのだから、はいやりましょう、とあまり深く考えずに引き受けてしまった。どうも私にはそういうお気楽なところがある。

晩餐会の会場となったカレッジグリーン・ホテルは、トリニティ大学のそばの五つ星ホテル。数年前まではウェスティンホテルだった。

2階の吹き抜けの空間ではアフタヌーン・ティーも楽しめるようだ。

MC が「Master of Ceremonies マスター・オブ・セレモニー」の略だと知ったのもこのときだ。以来、英語で司会をする際のオープニングと締めの言葉、発表者の紹介のしかたなどを、動画やネットを見ていろいろ参考にしていった。

晩餐会の1週間ほど前になると、当日の流れやゲストの名前が詳細に記された進行表 running order が送られてきた。この頃になると、会のことを考えると心拍数が上がり、他のことがあまり手につかなくなってきた。ピアノの練習もおろそかになってしまったのは言うまでもない(言い訳)。

晩餐会の実行委員たちがまとめてくれた進行表をもとに、最近使い始めた生成AI に司会台本の下書きを頼んだ。英語がメインで日本語は英語の 3分の1 くらいの量とし、思い描いていたようなトーンにするために細かい指示をすると、あっという間に台本を書いてくれた。

台本を自分が言いやすいように手直しして練習すること数日、特に出だしの「Welcome! Thank you so much for joining us tonight. 皆様、本日は…」というフレーズは暇さえあれば呪文のように唱えて覚えるようにした。

私の台本。読みやすいように大きな文字で印刷して15センチ四方のカードに貼り、一枚ずつめくっていく方式にした。当日会場に行ってから書き足したところも。

何度も口に出して練習しても、いつまで経っても言いにくい箇所があった。例えば拍手を促す「Please give a big round of applause for/to 誰々」というところ。「〇〇さんに大きな拍手をお送りください」と日本語では何も考えずに自然に言えるが、英語だと round of applause の L と R がどっちだか一瞬迷ったりして、なかなかスムーズに言葉が出てこない。Big を省いたり warm に変えたりしてもダメだったので、もう無理して言わなくてもいいや、と観念することにした。

本番2日前、夫の前でリハーサルをしたが、かなりつっかえるし、日本語も舌が回らない。夫は「僕ならここでこういう冗談を入れる」なんぞ言っていたが、私にはそんな余裕は全くなし。なるべく台本通りにはきはきとしゃべり、できるだけ視線を前に向けるということを心がけて練習した。 特にゲスト側からもらった英語の紹介文はかなり長く、知らない単語(consortium や conviviality)もあったために、集中的におさらいした。

本番を目前に控えて緊張が高まってきたときに自分に言い聞かせたのは、イギリス人の司会のプロの人が言っていた次の2つのことだ。

  • It’s not about you. 主役はあなた(司会)ではない。
  • Keep it simple. シンプルに、簡潔に。

さて、本番。仕事の後、ホテルに早めに到着し、非常口やお手洗いの場所、ゲストの入退場の動線などを確認した。実行委員や受付のボランティアたちは、アイルランド人が多いせいかリラックスムードだ。「何か確認しておきたいこととかある?」と聞かれたときには、「もうどうしよう、不安だー」と言いたいのをぐっとこらえ、「私が主役なのではない」のだからと、にこっと笑って「大丈夫」と答えた。

練習の甲斐があってか、演壇に上がって「Welcome!」と集まった人々の顔を見回しても、必要以上に緊張がこみ上げることはなかった。細かいミスはいくつもあったし、段取りをはっきりと示さずに降壇してしまい「あれ?もうデザート食べていいの?」と一瞬会場内を戸惑わせてしまったりもしたが、まあ何事もなく無事に晩餐会は終了にこぎつけた。

会場の天井や壁は漆喰のデザインが見事。

晩餐会のスターターはスモークサーモンとアスパラガスのサラダ。お皿はウェスティンホテル時代のものを使っていた。

メインは牛肉ステーキと付け合わせ。デザートの前にまた壇上に上がらなければならなかったため、食事はじっくりと味わえなかったが、ポテトの上の巨大なマッシュルームはおいしかった。

プチデザートの盛り合わせ。会場内には 10人ほど着席した円形テーブルが 11卓、ダブリンの日本子女補習校に通う子供たちの作った折り紙などで飾られていた。

ふり返ってみると、マスター・オブ・セレモニーの「マスター」と呼ぶには私はまだまだ未熟者だというのが正直なところ。日本語だけだったら、もう少し気の利いたこともアドリブで言って雰囲気を盛り上げられたかもしれないが、いやいやそんな余力はなく、会が滞りなく進むように最低限のことを台本を見ながら伝えることに徹し、それ以上でもそれ以下でもなかった。

でも、主催者のメンツをつぶすようなことはなかったのだから、よしとしよう。

バスで帰宅すると真夜中を過ぎていた。会の最中にはほとんどお酒を飲まなかったので、家で赤ワインを一杯だけ飲んで自分をねぎらった。

当日は Desigual というスペインのブランドのドレスを着た。わりときちんとした服を扱うチャリティショップでこのドレスを見たとき、花火のようなデザインと動きのあるシルエットが気に入り、即購入。晩餐会の行き帰りにはユニクロのコントワー・デ・コトニエのジャケットを羽織って。